Date : 2020

05

28Thu.

UXインテリジェンスのパレーシア第1回:今、ビービットが「UXインテリジェンス」を提唱する理由

アフターデジタル

UXインテリジェンス

ビービットでは今、「UXインテリジェンス」という概念を発信しています。UXインテリジェンスとは、データ取得が容易になったアフターデジタル時代を「窮屈な監視社会」や「ユーザ不在のデータ売買社会」にしないために、ビジネスに関わる全ての人が持つべき精神のこと。

対談連載「UXインテリジェンスのパレーシア」は、この概念の提唱者であるビービットのメンバーが、UXインテリジェンスとは具体的にどんなものか、実践するためにはどうしたらいいのか、様々なキーパーソンとの対話を通して議論を深め、発信していく企画です。

「パレーシア」とは

連載タイトルにある「パレーシア」とは、「包み隠さず話すこと、あるいは、そう話す許しを得ること」という意味のギリシャ語で、フランスの哲学者 ミシェル・フーコーはこれを以下のように捉え直しました。


発言者が真理との個人的な関係を表明し、他者や自分を改善し、援助するために真理を語る義務があると考えて真理を語ることで、自分の生命を危険にさらす言語活動です。

パレーシアでは、話し手は自分の自由を行使し、説得よりも率直さを選び、偽りや沈黙よりも真理を選び、生命や安全性よりも死のリスクを選び、おべっかよりも批判を選び、自分の利益や道徳的な無関心よりも道徳的な義務を選ぶのです。


(『真理とディスクール』より)


本連載ではこの精神に則り、これからの時代をつくる議論を展開していきます。

連載初回は、今まさにUXインテリジェンスのコア概念を紡ぎ出している2人、『アフターデジタル – オフラインのない時代に生き残る』の藤井保文と、ビービット副社長 中島克彦の対談をお送りします。

これからは企業が「インテリジェンス」を発揮する時代

藤井:今年のはじめからビービットの組織名称が「UXインテリジェンス事業部」に変わっていますが、今日はそれほど重要視して提唱している「UXインテリジェンス」について、話していきたいと思います。

これ、もともとは中島さんたちとの議論を経て「UX企画力」という言葉で発信していた考え方なんですが、企画というとどうしても「現場の話」として捉えられがちで。

でも、もっと経営レイヤーからの話として捉えてほしくて「UXインテリジェンス」という言葉になっていった、と記憶しているんですが、改めて「企画力」や「インテリジェンス」という言葉に込めた思いについて、中島さんから話していただけますか?

中島:そういう意味で言うと、全部「企画(=プランニング)」だとは思っているんだよね。例えば経営レイヤーで言えば、事業コンセプトや創業の理念という話が企画になるし、現場のメルマガコンテンツ作りも企画と言えるわけで。本当は「企画」という言葉自体が伸縮可能な言葉なんだと思う。

で、「インテリジェンス」は「知性・知能」と訳されるけど、「人間が考える力」と捉えるなら「企画」にすごく近い言葉だと思うんだよね。なので、インテリジェンスは色々なところにあると言えると思ってる。

藤井:馴染みのある言葉を使うならUX企画やビジネス企画とも言えるところを、敢えて我々は「UXインテリジェンス」という言葉を作って、新しい概念として広めていこうとしているわけですね。

インテリジェンス関係でもう1つ思い浮かべるのが、国としてのインテリジェンスという話です。例えばCIAって、アメリカの、Central “Intelligence” Agencyじゃないですか。

中島:これまでの「国家がインテリジェンスを発揮してた時代」から、今は「企業がインテリジェンスを発揮する時代」に変わってきていて、これを僕は「ディセントラライゼーション※」と捉えているのね。今は、「企業体」のような、国と個人の中間のレベルでものごとを考えるようになってきている、ということなんだけど。

※ ディセントラライゼーション:分散すること。「セントラライズ」=センターに集まる、ということから中央集権的な意味合い。それに対して「ディ」がついて、中央集権ではなくなる=分散、分権するという意味で使っている。

その観点でいくと、かつてはセントラライズされたデータばかりだったのが、Googleが登場してデータがディセントラライズされた、と捉えることができるよね。今は更に進んで、データの「解釈権」もディセントラライズされてみんながインテリジェンスを発揮しないといけない時代になっている、ということかなと。

藤井:なるほど、業務レベルでも経営レベルでも社会レベルでも、これからの時代はそれぞれのレイヤーで自分事化して、主体性をもって企画し、インテリジェンスを発揮することが重要になっていくということですね。

そして、そうした姿勢でものごとを考える「インテリジェンス」に対して、僕らが創業以来大事にしてきた「UX」という冠をつけているのが、「UXインテリジェンス」。UXインテリジェンスの中身については、また後半で詳しく話していきましょう。

DXの目的は「次世代のUXをつくること」

藤井:少し話が変わりますけど、この前Twitterで「『状況理解に基づいたUX』なきDXなど滅んでしまえばいい!」みたいなことを書いたんです。ちょっと振り切った言い方でしたけど、意外と賛同してくれる人がいたんです。

それとほぼ同時期に、何人かの方から今の日本はDXをシステム導入とか人事制度および業務のデジタル化としか捉えていなくて、顧客との関係性だとか商品サービスのデジタル化の話になってない、これが問題だ、という話を聞いたんですね。

ちなみに今言った4つ、業務のデジタル化・人事のデジタル化・顧客との関係性のデジタル化・商品サービスのデジタル化、というのはマイクロソフトが言ってるんだそうです。

アフターデジタルで伝えたかったことは「システム導入がDXではない、新しい顧客との関係性を作ることこそがDXの起点である」ということで、さきほどの4つに当てはめるなら、うしろ2つをやってから前2つをやるべきだ、ということなんですが…。

中島:藤井くんの言っている順番はすごく正しいと思う。結局DXって次世代のUXを構築することだと思っていて、で、次世代のUXがいいから、ユーザが集まるわけでしょ。

藤井:で、データも集まると。

中島:そうそう。最初に、次世代のUXってこうなんじゃないか、っていうのを仮説的に出してみて、それが良ければユーザが集まってきて、集まってきたところで業務が構築されていく。

デジタルサービスだけじゃなくて、例えばカスタマーサクセスのプログラムなんかでもそうなんだけど、業務を「やる前に作る」なんてできないんだよね。やってみて困って、困って解決して、っていうのを積み重ねて業務になるはずで。だから実は業務って設計はできなくて、「発生するもの」だと思ってる。

で、夢中になって業務をやっていって半年くらいすると、「そういえば俺の評価は?」っていう話になるから、評価制度の話が出てくる。

そういう順番でしかDXは進まないんじゃないかと思ってるんだよね。まずユーザを集めて、そこに業務が発生して、業務をずっとやっていると評価の話が出てくるからちゃんと業務に合った形で評価しなきゃいけない、そういう順番で育っていく感じなんだろうなと。

藤井:最近、経営者の方たちとそういう話をする機会が増えたなと思うんです。

DXって、ずっと言われていたのにうまくいかなくて、ようやく国が2019年になって乗り出し始めたじゃないですか、DX格付けやDX銘柄を出したりして。そのあたりから、「今のDXっておかしいんじゃないか、システム導入のことをDXって言ってるけど、本当は違うよね」という論調も増えてきたなと。

アフターデジタルは、顧客との関係が新しくなるってことなんですけど、それが伝わりやすい状態にようやくなってきたかなという気がしています。

その中で、「UXなきDXは淘汰されるべき」っていうことをもっと強くメッセージとして発信していきたいんですけど、なかなかいいワーディングが思いつかないんですよね(苦笑)。ここはもう少し考えていきたいところです。

中島:「DXの目的は次世代のUXを作ることである」、ってはっきり言ってしまえば?

藤井:おお、それいいですね。ありがとうございます。

「UXをつくること」の意味と責任

藤井:結局のところ、UXインテリジェンスって何なんでしょうか。今の最新の定義でいうと、「DXに挑むビジネスパーソンが持つべき精神と能力」となっていますが、もう少し具体的に噛み砕いていきたいなと。

もともとは、アフターデジタルの話をするとどうしても一部の人がディストピアの話をしてしまう、という課題感があったんですよね。データを使うとか、UXを活用するって、悪用するとむちゃくちゃ悪い方向にもっていけるし、ディストピアを作ることも簡単にできてしまう。

でも僕らはディストピアを目指したいわけじゃない。アフターデジタルっていうのはディストピアのためにあるんじゃなくて、自由のためにある。アフターデジタル時代に「自由がたくさん生まれるような自由」を作ろう、というのが企業家に必要なマインドセット・精神性なんじゃないかっていう話が一番最初だったと記憶していて。

そのときに、「自由」には、「制約や負・不からの自由」であるFreedomと、「主張して獲得する自由」であるLibertyがあるけど、ここで我々が考えるのはLibertyの方だ、という話もありましたね。

中島:UXインテリジェンスは何かっていうことでいうと、まず実際に企業でUXを作ってる人とかをイメージした方がわかりやすいかもしれないね。その人たちが、「実は今、自分たちは社会に対して非常に大きな影響力を持ち得る状態になっている」ということをちゃんと自覚しないといけない、ということが一番重要なんだよなと思ってます。

前提として僕は、インターネットサービスを提供するとか、それによる新しいUXを提供するっていうのはやっぱり新しい社会秩序を作ることだし、新しい自由を作るってことだと捉えていて。

ちょっと社会秩序と自由の話が難しいんだけど、例えばムラ社会的で抑圧的な文化の日本企業がまだ多かった時代に、「2ちゃんねる」っていう新しい形の自由が登場して秩序がちょっと変わったじゃないですか。匿名でものが言えるようになったり、現実の自分と、それとはちょっと違うネット上の自分という両方を生きることができるようになった。そんなふうに、新しい自由を作るってことは、それによって新しい秩序が生まれることにつながっている。

で、今はそれを実際に実現できる可能性がかつてなく高まっている時代だと思うんです。UXを作るっていうことは新しい社会を作るっていうこととほぼ同義になってきていて、特にデジタルとリアルが融合してOMOの世界になっていくとその傾向はもっともっと強くなっていくし、ほぼ全ての会社がDXをやらざるを得なくなっていて、それってほぼ全ての会社が新しいUXを作るっていうことだから、みんなで新しい社会秩序を作るってことになると思っているのね。

そう考えると、それを牽引するUXデザイナーだったり企業内のUX企画者たちっていうのは、新しい秩序をディセントラライズしてつくっている人たちだっていう精神や自覚を持たなきゃいけないんじゃないか、と。単純に儲かるからとか、不自由で嫌だからとかじゃなくて、「俺たちはこういう世界に行きたいからこういうもの作ろう」というのをスタート地点にしたいよね。

UXインテリジェンスを語る上ではずせない「アーキテクチャ」という概念

藤井:その話の前提として、やっぱりアーキテクチャの話は避けて通れないですね。

レッシグ(ローレンス・レッシグ、米国の法学者)という人が、人の行動を規定したり変えたりする仕組みが4つあると言っていて、1つは法律。これはわかりやすいですよね。2つ目は規範。モラルとかですね。これやっちゃいけない、やっていい、みたいなことを社会的な観念として存在させているのが規範。3つ目が市場(原理)。これをやったら儲かるというインセンティブが働いてるので、人の動きが規定される。

4番目にアーキテクチャと言ってるんですが、これはここまでの3つとは全然違う話で、例えば僕ら踏切を見たときにカンカンカンて鳴ると「止まらなきゃ」って思うじゃないですか。これもアーキテクチャと言えるんですね。

法律にももしかしたら定められてるかもしれないけど、「この音が鳴ったら危ない」ってなんとなく思っている、そういう環境が作られている。なので僕はアーキテクチャって言ったときは環境と表現するようにしてるんです。

それで、信号機とか踏切とか、リアルの世界のアーキテクチャって基本的に国が作るものが多いんですね。そういう環境を国が規定して作っていたっていう状況なんですけど、デジタルの世界においては、国は今まであんまりアーキテクチャ設計をしてこなかったので、自由というか“野放図な”状態だった。

その野放図な状態の中で、ウェブにおいてはUXとかUIをうまく使うと人の行動をうまくデザインできるという、ある意味でのアーキテクチャが存在していたんですね。そこにOMOという「オンラインとオフラインの違いがなくなってデジタルとリアルが融合していく」という変化が起きて、今まではウェブ上でのみUXやアーキテクチャを作ってきた人が、リアルにおいても人の行動を変えたり、悪い言葉で言うとコントロールできたりするようになってきているというのが僕らが捉えている変化。

そうすると、例えばDidiのようにうまく環境を作ると、ドライバーが自分の給料をあげようと頑張れば頑張るほど乗る人のUXが高まっていく、ということができるようになる。

Didiだと市場原理的な要素も入ってきますけど、他にも例えば自分が日常の中でエコな行動をすると砂漠に木が1本植林されるっていう仕組みがあって、日々「いいことをする」のが習慣化されることで、社会貢献のことを自然に考えていくように作られていたりする。こういうのを僕は環境かつアーキテクチャだと思ってるんです。

で、中島さんがさっきから「UXをつくるというのは次世代のUXをつくることであり、それはアーキテクチャをつくるということで、それをつくる人の持つ影響力がかつてなく大きくなっている」と言っているのは、OMOの時代には、今までは国が作っていたアーキテクチャを企業が作れるようになっている、ということなんですね。

でももしそのアーキテクチャが1種類しかない場合、それに生き方を規定されてしまうので良くない。そうではなくて、多様なアーキテクチャがある中で、自分がこの状況においてはこれがいいと選べるようになると、かなり自由が増えると思うんですよ。

そういうアーキテクチャを実現できる時代になっている、ということを前提に考えると、中島さんの言っていることが理解しやすいかなと思います。

UXの力を社会のために使うことが当たり前の世界へ

中島:少し違う言い方をすると、今までウェブ上で行動誘導というアーキテクチャ設計をやっていたのと同じロジックで、リアルの行動誘導もできるようになった、というのがOMOだと考えています。だから、今までウェブを設計してきた人たちの力がこれからもっと高まるんだということを意識していく必要があるなと。

なぜかというと、それって実はある意味での「権力」を持っているということだと言えるから。

こういう話は実はウェブが出てくる前から議論されていることで、「環境管理型権力」とか、「生権力(せいけんりょく)」と言われています。環境管理型権力の定義は、「対象者の自由意志を尊重しながらも規則や環境を変えることで権力者の目的通りに対象者を動かす」ということで…。

藤井:対象者の自由意志を尊重する、つまりなんとなく自由だという雰囲気はしながらも、規則や環境をうまく変えているので、結果的に権力者の目的通りに人が動いていく、ということですね。

中島:そうそう。これ、最初は難しく聞こえるじゃないですか、でも、全然難しくないんですよ我々にとっては。

どういうことかというと、ビービットやウェブマーケターがやってきたことって、「ユーザの自由意志が前提の上で、UIやルールを変えることでユーザをCVやリテンションに導きます」と表現することもできるよね。でも実はこれってさっきの定義とほぼ同じこと言ってる。

そう考えると、UXをつくる人というのはある見方からすると権力者と言えるのではないか、と。だからこそ、やっぱり責任を持たなきゃいけない。

それって小さい意味でのUXインテリジェンスだと思ってるのね。生権力のもともとの定義で想定されている「統治者」というほど大げさではないけど、アーキテクチャ設計者として、ユーザに不義理なことはやっちゃいけないんだ、みたいな。

藤井:要は、UXつくる人とかウェブマーケターみたいな人たちは、ウェブ上のみの世界で、ある程度人の行動をコントロールする権力者に近しいことができていたんだけど、それがOMOによってリアルにも踏み込んできて、しかもそれをDXっていう大きな活動にしていけばいくほど、そういう人たちが本気の権力を持ててしまう状態になってきている、ということですよね。

そういう状況の中で、社会のためとか人のためになる方向にその力を使っていこうよ、という話であり、逆にデータ転売みたいな話はデータをユーザに不義理な形で使っていると捉えることができて、それは精神性としてよろしくないんじゃないか、と。

中島:これは、ジャーナリズムにすごく近いんじゃないかなって思うんだよね。

僕もジャーナリズムをちゃんとわかっているわけではないんだけど、「その情報を出すことによって人間社会がより良くなるかどうか」っていう基準に照らしてやろうよ、という話と一緒だと思うんですよね、UXインテリジェンスって。

「この記事でPV稼げばいいってもんじゃないだろ」というのと同じで、「このデータで金稼げばいいってもんじゃないだろ」と。

このアーキテクチャを作ることによって新しい社会秩序が生まれるけど、それって本当にに良いものなんだろうかってちゃんと考えよう、という概念だと思ってます。

藤井:そうですね。「新しいUXを作るんだ、それがDXの目的なんだ」とか、「顧客との新しい関係性を作るんだ」みたいなことが根底にあるべきだというのは強く感じています。

新しいUXを「これでウチはじゃぶじゃぶ儲かります、ユーザは気付きません」という悲しいものにしてしまうと、そういうものが明るみに出た瞬間に社会の発展が停まってしまうんじゃないかという危惧を、僕はずっと持っていて。

中島さんも同じようなことを言ってると思うんですが、僕とは違って起業家の視点で、「起業家ってそういうもんじゃないだろ、新しいものを作っていくチャレンジがおもしろいんだろ」と言っている。

僕はそれに対して同意もするけど、でも僕は起業家ではないのでちょっと言い方が違っていて、「社会のあるべき状態」という意味合いで、「UXと自由」とか「UXインテリジェンス」っていう言葉に最終的にすごく納得しているんです。

これからは、UXを今までやってきた人にとってものすごくいい時代になるし、いい時代な一方で、すごく責任のある時代になるんでしょうね。

中島:そう、責任はすごくあると思う。それをいい意味に捉えられる世界になってほしい、なるんじゃないかな。

藤井:なりつつある感を、今ひしひしと感じてます。引き続き、頑張っていきましょう。

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