前説
最初に言っておく。
私は俗にオタクと呼ばれる人たちを尊敬している。それは私が、何をとってもあそこまで深い愛と情熱を一つのものに捧げることができないからだ。
それなりには好きである。
ガンダムもオルフェンズはシドニーがなくなっていることを見て宇宙世紀にカウントすることにしている。プリキュアだって4年くらいは毎週楽しみに見ており、一番好きなのはキュアパインだ。ドラクエ11は最後に出てくる緑と赤の本の解釈について徹底的に考え抜き、一定の結論を得ている。
しかし、捧げきれない。
ガンダムは好きだが、結局宇宙世紀と00しか見てない。プリキュアを見ていた時も、「ご飯を作りながらいつも見ている」と友達に話したら「お前ちゃんと作画チェックしてんのかよ!!」と怒られた。ドラクエメインシリーズでさえも10だけやってない。
仕事がまあまあ好きなこともあって、死ぬ気で時間を費やすことが出来ない。ドラクエ11も、仕事の邪魔になるから、と、とにかく早く終わらすことに集中した。(武器作り切って、やるイベントなくなったからやめられたわけだが。)
でも、仕事もまあまあやる私だからこそ、世の中のコンテンツビジネスを改めて、仕事であるエクスペリエンスデザインの視点で語ることができるのではないか。これはそういう企画だ。
この場を借りて、そんな話を皆様に提供し、「そんな考え方もあるんだ」と思っていただければ、幸いである。
仮面ライダーを馬鹿にするやつは仕事ができないやつ説
私は平成仮面ライダーが好きである。皆だって好きだろう。
佐藤健、菅田将輝、オダギリジョー、竹内涼真、福士蒼汰、吉沢亮、水嶋ヒロ
内田理央、馬場ふみか、秋山莉奈、森カンナ、加藤夏希
ほら。好きじゃん。
「19の次って、20だよね!」みたいな当たり前の確認で恐縮だが、平成仮面ライダー前半(9代目まで)のビジネスモデルは、皆さんも知っての通り、以下の特徴で知られる。
- 子供はやっぱりヒーローが好き。 → だから毎回変身シーン、バトルシーン、必殺技でやっつけるシーン(雑魚でもいい)が必ず入る。 → これにより毎週「わあー!かっこいい!グッズ欲しい!!」となる。
- 若いイケメンと、複雑なサスペンスストーリーで母がメロメロ。 → すると子供と共通の話題が出来る。 → 結果「グッズ欲しいのね!買ってあげるわ!」となる。
しかし、平成仮面ライダー後半、つまりディケイド(平成10代目以降)以降、このビジネスモデルが強化されることはご存じだろうか。
仮面ライダーディケイドのストーリーはこうだ。
- 主人公、いきなり過去の仮面ライダー主人公に「今度、世界壊れるよ。でもお前直せるよ。」と言われる。
- 「世界が壊れる理由は、その前の平成仮面ライダー9つのパラレルワールドが、なんか知らないけどぶつかりそうで、ぶつかったら壊れるからだよ」と説明される。(意味不明)
- 「それぞれのパラレルワールド、行ける感じにしてやったから、行ってきて仲良くなったら、たぶんパラレルワールド統合されて、世界直るよ。」と説得される。(意味不明)
- まんまと信じた主人公、パラレルワールド回って他のライダーと仲良くなる。
という話だ。
……正直自分で書いていて、「オイィィィィィィィィ!!!!なんだそれェェェェェェェ!!!!!」と銀魂風に思う。
しかし、お分かりだろうか。
通常、仮面ライダーはパラレルワールドに分散して同時に存在しえない。
しかし、このストーリーによって
過去の仮面ライダー達を、同じ一つの世界に統合させる設定を無理やり作りだしているッッッ!!!!!
結果子供たちは、ディケイドのストーリーを追う中で過去の平成ライダーを全て網羅することになり、その過程で「このライダーかっこいい!」となると、親にそのライダーのDVDをツタヤで借りて来いと、ねだるわけだ。(ちなむと30分×45~49話くらいある)
さらに、途中から平成ライダーに留まらず、昭和ライダーにまでストーリーが拡張しはじめ、最終的には映画において、昭和含む全仮面ライダー(メインライダーのみ)が出てくる。
さて、これによって興奮するのは誰か。
そう、お父さんである。
自分が見ていたライダーが出てくる。するとお父さんは「俺の時はあのライダーだったんだよ!!」となる。一緒に盛り上がり、何ならそのライダーに自分がなりきりながら息子と「ごっこあそび」が出来る。なんて幸せなことだろうか。
仲間になったお父さんは、子供の分だけでなく、自分の分のベルトまで買い始める。子供がそのライダーの話も見たいと言ったら、「俺の息子が自分の見ていたライダーに興味を持ってくれた!!」となり、意気揚々とそのライダーのDVDを買って一緒に見るわけだ。
うちの社員はこれにまんまとハマり、自分の見ていたライダーまでは到達できなかったが、アギト(平成2代目)とカブト(平成6代目)のDVDレンタルとベルト購入を余儀なくされた。
つまり、ビジネスモデルとして、以下が付加されるのだ。
- 平成ライダーを取り込むことで、より支払い能力のある可能性が高い「父親層」を取り込み、一緒に盛り上がらせる。
- 他のライダーを認知させることによって、子供に「今のライダー以外に好きなライダー」を作らせる。
- 結果、お父さんとごっこ遊びとかをするネタになり、複数ライダーの変身グッズだけでなく、映像コンテンツやカードにまで興味が発展し、「コレクション性」を高めることが出来る。
世の中では、仮面ライダーダブル(平成11代目)以降の変身アイテムの増加が取り沙汰されるが、ディケイドの時点で起きた結果同様の拡張性高いビジネスモデルを模索した結果のダブルだし、「歴史の整合性を取る」という美しさからも、ディケイドの方が評価されるべきだ、と個人的には思っている。(意味不明)
※なお、カードゲーム「ガンバライド」もここからスタートし、今まで続いている。これもディケイドの世界観が生んでいるビジネスモデルであり、好きなライダーを増やすために相乗効果を生み出している。
ビジネスとストーリーの狭間で
仮面ライダーの最終話は、大体世界が壊れかけたりする。
「え、じゃあなんで前のライダー助けに来ないの?」とか「あれ、なんか前も世界壊れかけたことあるのに、なかったことになってない?」とか、色々とストーリー上不都合があるため、基本的にはパラレルワールドとされていた。(クウガとアギトを除いて)
この状態では、企画の幅やプロダクトの幅を広げるには限界がある。先ほどのような、「ライダー全部出し」みたいな企画をやりたくても、話の整合性が取れなくなってしまう。時系列が合わない、ストーリーの認識がおかしい、などなど。
これをまじめに、ストーリー上整合性を付けるために、ディケイドという平成10周年ライダーを作り、ストーリーの展開の中で、「パラレルが統合される」というストーリーを創り出す。
なんと美しいことだろうか。(無理やりなご都合主義ストーリーであることは置いておく)
きちんとパラレルワールドに整合性を付けるという話を作るという、「ストーリーへのプライド」を感じる。
逆に思い出してほしい。ドラゴンボールの映画の設定のズボラさに憤ったあの日を。
ドラゴンボールの映画の挿入タイミングが意味不明なのは、家に帰ったら手洗いうがいすることと同じレベルで、皆が当たり前のように過ごして感じていた思い出の一つだろう。
例えば、フリーザの兄、クウラが出てくる映画「とびっきりの最強対最強」。
フリーザを倒した悟空は原作ではヤードラット星経由で帰ってきて、帰ってきた時点では既に瞬間移動とスーパーサイヤ人化を習得しているはず。
しかし、この映画では、地球にいる悟空に対して、亀仙人が「悟空はナメック星から帰ってきて、一段と強くなった」的な発言をするくせに、クウラ戦では瞬間移動も使えなければ、スーパーサイヤ人にも自らなれない。
これは時系列的に明らかに矛盾しているわけだ。全ての男子が、この映画を見た時、「おかしいだろ、設定」と憤慨したに違いない。
この憤慨をカタルシス的に解消するために、作られた一人のライダー。
それが仮面ライダーディケイドなのである。
結果、この後世界は統合され、「仮面ライダーが同時に存在してよい世界観」に切り替わり、11代目以降、「各エリアを守るライダー」という設定に切り替わる。これによって、例えば映画やスペシャル企画で「いつでもライダー同士が協力できる環境」が作られたのだ。(まあ一番面白いのは13代目のフォーゼで、守るのは「高校と宇宙」っていうwww せま!!そして広!!)
最後に ―お父さんのジョブ―
Jobs To Be Doneというクレイトン・クリステンセンの理論がある。(いきなりどうした)
これは、これまでの顧客ターゲット設定の方法を、属性ベースではなく状況ベースに塗り替えるという野心的な理論である。
モバイル・IoTその他センシングによって顧客と寄り添い続けることが可能になった時代において、ターゲティングと接点双方の意味で「状況を捉える」ことの重要性は高まっており、エクスペリエンス型ビジネスとの親和性が非常に高い。
ビービットでもこの「状況を捉える」という考え方をエクスペリエンスデザインの核としている。
状況ターゲティングを志向するJobs To Be Doneの理論では、ジョブという概念(日本語では「特定の状況において顧客が解決したい用事」としている)の解決が、商品やサービスに求められているものである、としている。
…喋り方が固すぎて肩が凝った…さあ、ライダーの話に戻ろう。
毎日働くお父さんにとって、5,000円のライダーのベルトを何本買っても、大した痛手ではない。そんなことよりも、子供と共通の話題がなく、遊ぶと言ってもキャッチボールとかしかない。
「たかし!キャッチボールしようか!」
「えー、いいよ、ゲームする…」
この方がよっぽど人生のペインポイントである。
それに対して、新たな仮面ライダ―の世界観は「親子共通の話題」をより深い形で提供してくれた。お父さんの「土日子どもと一緒に遊ばなければいけない」という状況(ジョブ)に対して、ソリューションを提供してくれたのが、このディケイドなのだ。
こうしたビジネスモデルは、より抜けられなくする「搾取型」のように語られることが多い。一部真実と言えるかもしれない。
しかし!!
父親は、自分のジョブを解決してくれるなら、喜んでそのモデルにハマっていく。それによって、愛する子供と楽しく会話し、惜しみなく変身グッズを買ってごっこあそびをし、子供が自分が好きだった仮面ライダーを見て盛り上がっている最中に、「ああ、そういやこんなストーリだったっけな」「あのベルト、子供のころに買ってくれってオネダリしたっけな」と、自分の親にまで思いを馳せるのである。
これによって、皆様が、ディケイド及び全ての仮面ライダーに敬意を払い、コンテンツにより興味を持ってくれる人が増えることを願うばかりである。
ジョブの解決と幸せを、ありがとう。仮面ライダー!!
33歳、子供なし、独身男性より。