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「すべての人に心身の健康と理想の状態を届ける」ためのサービサーへの転換
“トクホ飲料”の市場をけん引してきた花王「ヘルシア」が今、新しい形で顧客との関係を構築しようとしています。
現在、LINEアプリで内臓脂肪を記録できるサービス「モニタリングヘルス」を提供中です。来年、継続率向上のためのさらなるサービスリリースを予定しており、その方針策定とUX設計をビービットがご支援しています。
「ユーザに余計な負荷をかけずに健康になっていただくには?」との問いを追求した結果、無理なく内臓脂肪の減少に取り組めるサービスの着地点が見えてきています。このプロジェクトはヘルシア事業が「プロダクト販売」から「サービス提供」を担う、事業のサービサー化というDXであり、企業としての花王様がDXを推進するドライバーにもなりそうです。
今回は現在進行形のプロジェクトについて、前編ではヘルシアの課題や花王様における同事業の位置づけを、後編では実際のアプリ開発のプロセスをご紹介します。前編は、花王株式会社 ヘルス&ウェルネス事業部 事業部長の下豊留玲様とコンシューマーリレーション開発部 部長の鈴木愛子様に、プロジェクトの立ち上がり期を主にご支援したビービットの宮坂祐(執行役員/エバンジェリスト)が伺いました。
デジタルマーケティング部は発展的解消、顧客理解と関係構築に注力
「モニタリングヘルス」は、ヘルシアブランドの中でも内臓脂肪の減少を助けるシリーズのユーザを想定し、簡単な入力と写真撮影で内臓脂肪を予測することができます。指揮を執ったのは、ヘルス&ウェルネス事業部の部長を務められている下豊留様。27年にわたり研究職としてヘアケアやヘルスケアの研究と技術・商品開発に携わられ、事業部門に移られたのは1年半前のことだそう。
宮坂「当時は、戸惑いなどはなかったのでしょうか?」
下豊留様「あまりなかったですね。事業部に移る直前の3年間はヘルシアの商品開発に携わっていましたし、花王は研究部門でも国内外の大学などのビジネス研修に参加する機会が多いので、基礎的な知識はありました。事業部に移った際、事業のミッションを『すべての人に心身の健康と理想の状態を届けること』と定義したのですが、そもそも大学院で農芸化学を専攻していたころから『生物が生み出す化学物質を人類の幸福に役立てたい』という意識があったので、自分の志向性とも合致していました」
一方、鈴木様は長くインハウスのコピーライターとして数多くの商品にかかわった後、ヘアケア製品のブランドマネージャーなどを経て、デジタルマーケティングに異動。2019年1月、同部の発展的解消と同時に誕生したコンシューマーリレーション開発部を率いられています。
鈴木様「デジタルマーケティングは、マーケターが一人ひとりしっかり推進するべきだとの考えの下、機能集約した専門部署は解散しました。データ分析や基盤、会員コミュニティの運営、直販など点在していたチームをまとめたのが現在のコンシューマーリレーション開発部です。顧客理解と、それを前提にした継続的な関係構築を目指し、そのために必要な環境や仕組みをデジタルの視点で全グループとして整えることをミッションとしています」
今回のヘルシアのプロジェクトにはアドバイザーとして、また後方支援として携わられました。
飲用効果の可視化というアイデアから生まれた「モニタリングヘルス」
ビービットが本プロジェクトに参画することになったのは、2019年秋のこと。ヘルス&ウェルネス事業部のメンバーが書籍『アフターデジタル』を手に取って外部セミナーに参加されたことを機に、社内セミナーのご相談を受け、宮坂が担当させていただきました。
同時期に、「経営トップの資料の中にも”アフターデジタル”という言葉を見つけた」と下豊留様。以前からビービットをご存知だった鈴木様が、長谷部佳宏専務に書籍を寄贈されていたそうです。
下豊留様「私が過去に参加してきた海外の研修などでは、経営トップがすでに企業のDXに動き出していて、これが今後の世の中の潮流だと感じていました。SDGsなどもそうですが、日本にこうした新しい言葉が入ってくるころには、世界ではすでにその潮流が強まっているという状況があります。そんな中で”アフターデジタル”という言葉がパッと目に飛び込んできた上に、部のメンバーが参加したセミナーの内容を聞いて、強く興味を持ちました。それがアフターデジタルとの出会いであり、ビービットさんとの出会いでした」
ただ、その時点ですでにアプリの企画は進んでいました。
下豊留様「最初にプロジェクトについて宮坂さんに相談したところ、やはり『現状では使われ続けるアプリにならないのでは?』と指摘されたのですよね」
宮坂「そうでしたね。内臓脂肪の測定はいいアイデアだと思いましたが、とはいえ習慣がないものを続けてもらうのは難しい。また、『測ってどうするの?』という先の見通しも提供しなければなかなかアクションを促せないので、そのあたりまで設計されていますか、とお聞きしたと思います」
そもそも本プロジェクトの発端にあった課題は、生活習慣病の予防を掲げるヘルシアにおいて、内臓脂肪の減少効果を実感していただくために飲用習慣を形成することでした。
下豊留様「事業部に移った際、まずヘルシアのユーザの飲用習慣を調べたところ、週2本程度の方が大半でした。これでは効果が表れにくく、ヘルシアのポテンシャルがお客様に届きません。少なくとも週の過半以上、週に4本は飲んでいただきたいので、その環境をつくらなければと考えました」
宮坂「一般的には、アップセルの観点で購買頻度を高められる余地を探ると思うのですが、今のお話しですとアップセルというよりは『効果をしっかり感じていただきたい』という観点が中心だったのですね。ヘルシアのポテンシャルを信じていることが伝わってきます」
下豊留様「アップセルや競合商品との差別化も意識してはいますが、根幹にあるのはやはり、カスタマーサクセスの発想です。ヘルシアがお客様に提供するサクセスは、内臓脂肪の減少です。それに向かってヘルシアが最大限に貢献する状況をつくるために、アプリでの顧客接点が必要だと考えました。宮坂さんのお話を聴いてからは、アフターデジタル時代の顧客との関係構築といった観点の重要性も実感していきました」
ヘルシアの“カスタマーサクセス”とは何かをストレートに追求
BtoC企業である花王様から“カスタマーサクセス”という言葉が発せられたことに、宮坂はじめビービット側には驚きがありました。
宮坂「今、ちょっと感動に近い衝撃を受けています。BtoB企業では最近よく言われていますが、BtoCのメーカー企業でカスタマーサクセスの考えを根幹に据えているのは私も聞いたことがありません。これは、冒頭でお話しいただいた下豊留さんの、研究によって人の幸せに貢献したいというDNAによるところが大きいのかもしれないですね」
鈴木様「私もそう思いますね。ビジネスの経験が長ければいいかというと、今の時代はそうとも言い切れないでしょう。彼は研究領域で人の幸せに貢献したいという気持ちが強かったからこそ、バイアスなく現状のプロダクトと顧客の状況の両方に向き合って、何がもっとも必要かを素直に考えて実現できたのではないかと思います」
とはいえ、内臓脂肪を減らすことが健康につながるといくら訴求しても、可視化しないとアクションは持続しにくいものです。そこで下豊留様は、ナッジ理論に着目したといいます。ナッジとは行動経済学の用語で、強制的にではなく自発的に望ましい行動をとるような仕掛けを指します。
下豊留様「花王では内臓脂肪を腹囲から予測できるアルゴリズムを開発していたため、それを簡単に測定でき意識できるインターフェースが必要だと思っていました。スマートフォンアプリなのか、WebアプリやLINEアプリかなどはさておき、何らかのアプリケーションとしての提供を構想し、動き出していました」
鈴木様「実は、私は基本的にアプリには反対派なんです。顧客接点として、もちろんアプリはとても有効だと思いますが、お客様と永遠に手をつなぎ続ける覚悟と体制が必要です。それがないなら、他の方法を考えたほうがいい。今回も、下豊留さんから相談を受けてひとこと目は『やめたほうがいいよ』でしたが(笑)、彼をはじめヘルシア事業のメンバーの本気度がわかり、まあ、やってみるしかないかと」
アプリ反対派、と断言される鈴木様。その真意は、どこまでも顧客の立場に立ち「中途半端では信頼を裏切る」との思いにあることが伺えます。
宮坂「少し失礼な言い方かもしれませんが、メーカーの短期的なキャンペーン目的で気軽につくられたアプリが期間を終えてもそのまま放置される……といったケースには反対、ということですよね。今回のヘルシアの取り組みはそうではなく、アプリをつくるというより顧客との関係をつくる、そのカギになる施策だったから後押しした、と」
鈴木様「そうですね。継続的な関係作りを前提としたものだと理解しました」
ペインのないUX設計を目指して大幅な軌道修正を決断
ビービットはプロジェクト中盤からご支援させていただく形となりましたが、その直後に、「UX視点での改善が必要では」という懸念が浮かび上がり、大幅な方向転換をすることになりました。
内臓脂肪を測定・記録するアプリという原案はできたものの、どうしたら“ナッジ”が実現するのかと社会行動学分野の研究をあたるうち、「いかに簡便な形でも習慣づけるのは非常に難しい」ことに行き着きました。健康のために内臓脂肪を測定しましょうと、健康訴求をメインに打ち出す方向では、どれだけインターフェースをスムーズにしても動機付けが弱いのではないかと考えました。
下豊留様「ビービットさんでは、ペインという言葉をよく使われていますよね。正直なところ、健康になるために歩いたりカロリー制限をしたりするのは、ユーザにとってはペインです。そこで当初の方針を変え、ペインなく健康的なライフスタイルが根付くように、『無理なく健康に』という状況をつくれないかと宮坂さんにお話ししました。ここでの“カスタマーサクセス”は、ユーザの内臓脂肪が減り健康になることなので、そこにたどり着くのに現状では不十分だと気づいてしまった以上、二の矢、三の矢を打たなければ。UX視点で進化させないといけないと腹を括りました」
アフターデジタル時代に即したメーカーのサービサー化
途中まで進んでいたものをがらっと変えてもいい、という覚悟と信念を受けて、ビービットでは改めてヘルシアの課題とアプリの方針を整理し、プロダクトが中心にあるアフターデジタル時代のアプリ企画を検討し、最初のプロトタイプに落とし込みました。
ビフォアデジタルの時代、プロダクトはおいしさや機能性など、それ単体で単発の価値を提供してきました。ですがデジタルとデータの活用により、ユーザを単発ではなくプロダクト体験の前後も捉えて、体験的な価値を提供することが可能になっています。それこそ、ヘルシア事業で目指すことであり、また花王様が企業として目指す「顧客との継続的な関係構築」につながるとビービットでは考えました。
アイデアをプロトタイプに落とし込み、年明けの1月からモニターの方々に試していただいて、検証しながらディスカッションとブラッシュアップを重ねていきました。1日の間で、最初の方と最後の方が体験する間にも改善していくスピード感に驚いた、と下豊留様は話します。
下豊留様「私たちとしては、顧客との共創を疑似体験する貴重な機会にもなりました。いくら考え抜いたとしても、身内だけの限られた視点で検討したものと、一人でも二人でも外部の方に体験していただき変化球を受けて進化させたプロダクトは、まったく違うのだと実感しました」
鈴木様「自社だけでは、とてもあれだけのスピードでプロトタイピングするのは無理だったと思います。仮に1回はできたとしても、改善して再度モニターさんに体験してもらうのが数カ月後などになりそうだな、と。ただ、このブラッシュアップの速度と精度こそUX設計の肝なのですね。ここを怠ると、観察調査を重ねても意味がないのだとわかりました」
宮坂「もともと花王様では顧客像の把握に注力されていて、エスノグラフィー調査なども根付いていると思います。観察して改善点を見つけるなじみのある手法が、たまたまデジタルチャネルでは未実施だっただけで、そこに皆さんの気合いが重なって良い成果に結びつきました」
鈴木様「エスノグラフィーと捉えるとなじみがありますが、今回のような形で自分たちの仮説を可視化したことはなかったです。また、私はクリエイティブの経験が長いので、短期間で集中的に取り組むことの効果はよく知っています。プロトタイピングも同じで、短期集中だからアイデアが出るのだと再認識しましたね」
来年の改めてのサービスリリースに向けて、引き続き両社で「モニタリングヘルス」を磨き上げていく予定です。まずはこのアプリが奏功するかがひとつの試金石になりますが、その先の未来まで含め、ヘルシア事業はどのような世界の実現を見据えているのでしょうか。
下豊留様「ヘルス&ウェルネス事業部で掲げる、心身の健康と理想の状態を届けるという使命を果たす道のりは、まだまだ長いです。そのためのひとつのブランドがヘルシアであり、その中で今は内臓脂肪にフォーカスしているに過ぎませんから。内臓脂肪が関連するもの以外の生活習慣病の対策も続けていきますし、生活習慣病は世界中の課題なので、世界中から生活習慣病がなくなるまでは手を緩められません」
トランスフォームとは、形質転換。一人ひとりが変わりたいと思っているか
今、多くの企業でデジタルトランスフォーメーションが喫緊の課題になっています。デジタルをベースに、顧客との新たな関係を構築し継続できるかが問われる中、今回のヘルシア事業の取り組みはひとつのブランドの活動ではありますが、企業全体のDXにつながるケースになるのではないでしょうか。
鈴木様「デジタルという言葉から入ると、手段であるテクノロジーがいつの間にか目的になり、そもそもの目的を見失いがちです。“デジタルトランスフォーメーション”もそうですが、英語をカタカナにしただけの言葉は正体が見えにくいですね。一体DXとは何かと問われたら、私は『新しい価値のある体験を通して、お客様と直接つながって新しい関係を築き続けること』と答えます。仮に、花王のDXを定義するなら『花王がお客様一人ひとりと新しい関係を構築するために、必要な顧客価値を提供し続けること』でしょうか。今回のヘルシアの取り組みは、最初の一歩めですね」
下豊留様「生物学では、トランスフォーメーションは形質転換。ある生物がまるで違う形質になることです。それが今の時代では、デジタルを使って変わることが当然だから、DXという言葉になっていると捉えています。ヘルシアのトランスフォームと、花王という会社全体のDXはもちろん同列には語れませんが、ひとつの成功例が全社の動きにつながればと思います」
鈴木様「トランスフォームしたいと、一人ひとりが思っているかどうかですよね。そして、どう変わりたいかという考えがあり、そのためにデジタルを使うという順番が大事だと思います」
最後に、お二人にとってビービットとはどんな存在かを伺いました。
鈴木様「何か困ったなと思ったとき、相談相手として最初に浮かぶような存在です。会社というよりも、今回なら現場を担当してくださった下地さんだったり。相談したら、何らかのヒントを返してくださるだろうなという期待があります」
下豊留様「当初は“アフターデジタルの師”として頼り切りでしたが、一緒にプロジェクトにかかわるうち、パートナーという関係になっていったと思います。このプロジェクトが無事ローンチして成功したら、恩人という存在になるのでしょうね」
ヘルシアというプロダクトの“カスタマーサクセス”は何かを真摯に見つめ、追求する姿勢がとても印象的でした。同時に、ビービットにとってのカスタマーサクセスが達成されるよう、引き続き精進しなければと改めて感じました。ビービットはこれからも花王様のお取り組みを全力で支援させていただきます。
ヘルシアのブランドマネージャーをはじめ、現場の皆さまにお話しを伺った後編はこちら。
※ 本インタビューは新型コロナウィルス感染拡大予防の観点から、オンラインで実施しました